昨日今日と久しぶりに映画三昧をしている。
どちらも観てよかったから、感想書こうかなって。
ちなみに先週見た「夜明けのすべて」もとてもよかったので、改めて日記に書きたい。
昨日はアカデミー賞のいろんな情報を観ていたら、外に出る力が一度なくなってしまって、出かけるのが夜になってしまった。
「関心領域」観ないとなと思う。
どうせお金を消費するならば、命を大切にしようとしている人のもとへ届くように使いたいと思っている。
ハフポス| アカデミー賞、ユダヤ人監督がガザ攻撃に声を上げる「ホロコーストを利用してはいけない」
https://www.huffingtonpost.jp/entry/jonathan-glazer-speaks-out-on-gaza-in-oscars_jp_65ee7856e4b0bd5228d46d2a
アリアナ・グランデがミシェル・ヨーに、わたしあなたの大ファン〜!って抱きついてる動画もあって、それを観てすごく泣きそうになった。エブエブ、もう一度観よう。
大きなお金が動くハリウッドで白人が中心になってしまう状況があるというのを目の当たりにして、その土地に暮らす移民を主人公に据えたブリュッセルが舞台の「here」と「ゴースト・トロピック」という作品を観ることができたのは、すごくやはり意味のあることだと思う。
予算の規模とか違ったとしても。
https://www.sunny-film.com/basdevos
そして、アメリカにおけるアジア人の透明化というのに心を痛めるのであれば、わたしは自分がマジョリティであるこの国でどんな人を透明な存在にしてしまって生きているのかということを向き合わないといけないとか思ったりした。
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夜になったら元気になったので、少しばかしのおめかし、この冬あまり着ることがなかった祖母のお下がりで可愛いけれどぶかぶかなワンピースを着て映画『テルマ&ルイーズ』を観にいった。
予告編
https://youtu.be/ngY_us7og70?si=KpEpos-yt8B0vwkW
【ALT】映画館の壁に飾られている映画のポスター。水色のオープンカーにサングラスを掛けた白人女性が2人乗っている。
鑑賞料が2,000円で驚いた。
高い。ちゃんと働いている人に還元されてほしいと思うのだけれどミニシアターの時給ってそんなにあがっている印象がない。
以前、柴田聡子がコンサートでカバーしているのを聴いてから、安室奈美恵のGIRL TALKという曲を繰り返し聴いてきた。(サブスクから消えてしまった)
その曲中「慰め合えば強気になれる テルマ&ルイーズみたいに」と歌われていて、どんな映画なんだろうとしばらくの間、妄想を重ねてきたのだけれど、映画を観ながら心強さというもよを感じた。
観てよかった。暫くの間、たくましく生きていけるような気がする。仲間を得たような、ような気持ち。
好きだなと思う人物が登場する、映画を観るたびに仲間が増えているのかもしれないと思った。
作品によっては、いつかはお別れをする時が来るのかもしれないけど、テルマとルイーズは永遠
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きょうは「さよなら ほやマン」を観てきた。
観る前はどんな映画なのかあまり想像がついていなかったのだけれど、久しぶりに映画を観て泣いた。
「さよならほやマン」予告編
https://youtu.be/_amYqTD59dk?si=SS4oVscAlc8vR4gq
【ALT】階段脇に置かれた、ほやをモチーフにしたヒーロー、ほやマンの格好をした主人公・あきらが大漁旗のマントをなびかせて立つパネル。眩しそうに目を細めて遠くを見ているように見える。
単純に強く真っ直ぐなエネルギーを放つ映画を観てこなかったからかもしれないけど。
でも、すごく良かったのは確かで。観た人とお話がしたくなる作品だった。
舞台は東日本大震災の被害を受けた後の宮城の石巻市の離島で、警察とかいないらしい。
私にとっては家族っていうのは自分で模索中のテーマで、それは多分制度的に生活のあらゆるものに左右するもので、翻弄されてきたからで。
この年になって改めて気がついたけれど、それは私だけではないのだなと思う。
そしてこの作品の中で描かれる人の関係の仕方は、私が避けてきたようなものにぶつかっていくという方法で新しい形を見出してくれたように感じた。
最近、結婚したい友だちの話を聞いていて、わたしは結婚したいと思ったことないんだけどなんか文句ある?とちょっとやさぐれつつ、誰ともぶつからない孤独みたいなものもあると思っていた。
家族になるという選択に恋愛感情がなくても良いという生き方を応援されているような感じもした。(わたしの読み取り方がズレているのかもしれない)
何歳になっても生き方を模索するものなのだと思った。
映画が終わった後、監督と俳優さんのトークがあって、監督の話がとてもよくて。
昨日は、3月11日だった。
東日本大震災が起きてから13年が経った。
当時は疎ましいと感じるほどに至るところで「絆」という言葉が聞こえてきた。
能登の震災についていろいろ考える時に、13年前に人々が建前だったとしても語られていた言葉が聞こえないことが苦しい。
13年という月日を経て、人と痛みを分かち合うという生き方ではなく、人の痛みに目をふせて痛みを負わないという生き方がクレバーであるという考え方が広く共感される社会になってしまったように感じる。
そういった内容であったと思うのですが、私も本当にそう思うと思った。
でも同時に、人の声が届かないほどに追い詰められていて孤独感を強く感じている人も増えたんじゃないかなというような気もする。
そういう人が、誰かの痛みに目を伏せてしまっている自分自身が許せなくて辛いと感じていたりするんじゃないかなと思ったりもする。
みんなで生き延びるということを当たり前に尊重しあえるように人と関係していきたいけど、わたしは自分に甘いので失敗が多い。
ピース。(何だこの終わり)
あと、ほやって水ピューって出してから食べるものと思っていたけど、あんな風に直接食べれるのか!と驚いた。
おいしいのかな。
いつか石巻に行けるかな。
ふうな
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【トップ画のALT】青い空の下で桃色のワンピースを着てしゃがんでいるわたし。脚に顔を半分埋めている。