宇野(うの)(丸妻 錦糸町店)の写メ日記

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丸妻 錦糸町店
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宇野(うの)

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うのきち吐露
2024年3月10日(日) 14:54 by 宇野(うの)

ども、うのです

デジタルデトックスとは?
とか思いながら

明日は出勤であまり真剣な話も違うかなって
今日東日本大震災に関する日記を書くことにしました。

長文になる可能性しかないので
苦手な方はここでブラウザバックをオススメします。
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能登の皆様が被災されているので、
想像しやすいかと思いますが

13年前のちょうとこの時間辺り。

日本周辺史上最大の地震が起きました。

確かあの日は金曜日で
うのは都内のボロアパートで
有給取って寝ていました。

とにかく揺れが長くて
ボロアパートの窓がガタガタと音を立てて
揺れの時間が長くてとにかく怖くて
1人で叫んだ記憶は鮮明です。

大学の同級生は、実家が仙台で
お母様が被災されて、家具が倒れて逃げ道が無くなって、リビングに閉じ込められてしまい
東京に住んでる友達が119に連絡したという話も
特に驚かなかった程
本当に悲惨な日だったと思います。

奇跡的に1度だけ父と電話が繋がって
「どこにいる?大丈夫か?」って
あんなに心強い声は無かったです。

「この後は確実に電話は繋がらなくなる。湯船にお湯貯めて、とにかくテレビだけ付けとけ!」
そう言って電話を切った父。

繰り返し流れる津波の映像
増える犠牲者、行方不明の方々の数字。

未だ御家族の元に帰れて居ない方を思うと
本当に胸が苦しくなります。

都内に住んで居たので、うのは計画停電は経験していませんが

とにかくスーパーが怖かったのを覚えています。

いつも人が賑わうスーパーに
そもそも陳列されている物が無くて
ガランとした店内に、最小限の照明。

東北で沢山の方々が不便な生活を続ける中
大学の恩師がFacebookに並べた言葉を
うのは未だに覚えています。

「都内に住んでいる人も、レベルは違えど被災者。助けが必要なら声を上げて」

そして、原発の事故。
メルトダウン?炉心融解?
全部初めて聞く言葉。

最近Fukushima50という、あの福島原発の映画をNetflixで見ました。

「決死隊を作ってやっていますから」
「撤退なんて有り得ない、年寄りはどうなったって良いんだ、私も残る」
本当にそんなやりとりがあったかは知らないけれど、きっと人それぞれ皆が、それぞれの覚悟をしたんだろうなと、想像しただけで胸が苦しくなります。

皆が誰かの大切な人で、皆愛してる人、場所、思い出があって。


それをどう取るかは自分次第で、感じ方もきっと全部違う。


地震からしばらくして、母から送られてきたダンボールに「頑張れ!ママも頑張るから」って書かれた母の字を見て泣いて。


今は亡き大好きな祖父から送られてきた手紙
「そこからなら、じいちゃんの所へ帰ってくる方が早いと思ふ。地図を送るから、分からなかったら人に尋ね、じいちゃんの所へ帰っておいで」
昭和一桁生まれの祖父の書いた手紙と
方向音痴なうのの為にと沢山の付箋が貼られて、蛍光ペンが引いてあるあの地図は
うのの宝物です。


あの後、うのはボランティアで被災地に行きました。

帯同したDr.に
「東北の人は我慢強いから、きっとしんどいとか辛いとは言わないよ。医師である自分には身構えるだろうから!貴女は心を癒してください」と言われて

何をすればいいか分からない中、避難所になっていた体育館に入ったら、プライベートの空間なんて無いに等しい環境に
老若男女の方々が居て。

「スリッパどうぞ」って言って下さるのは被災者の方。

「いえ、お気遣いありがとうございます、お気持ちだけ」と返せば
それだけで涙ぐんで下さる方々。

「ちゃん!」って声を掛けられて振り返ると、そこには知らないおばあちゃま。

「ばあちゃん、違うよ」ってその方を制止する声をかける御家族をも巻き込んで、うのは嘘をつきました。

「おばあちゃん、元気だった?しんどいことは無い?私は大丈夫だからね」
そういうと

「えがったなぁ、ばあちゃんこんなだけど、じいちゃんだけは連れてきたんだよ」って見せて下さったご位牌。

泣きそうになるのを必死に堪えて
「じいちゃん、ばあちゃんにまた助けて貰ったんだね、良かったね」って。
多分最後は声が震えていましたが、それがうのに出来た最大の行動だったのかなと思います。

しばらくしてから御家族が
「本当にありがとう、若いお姉ちゃんがこんなとこまで来てくれて、ばあちゃん認知症だから、本当にありがとうね」って。

ご自身だってとっても辛いはずなのに
お礼をわざわざ言いに来て下さるお人柄に感嘆と尊敬の念しかなかったな。

明日のちょうどこの時間、国家を揺るがすレベルの天災があったのへ紛れのない事実。

そして、あの津波の教訓があったから、能登の地震で津波から逃げられた人々が居るのも事実。


だけどね、3/11がお誕生日の方も居て、記念日の方も居て。

そういう方々には、素直におめでとうございますって
ちゃんとお祝いして欲しいんです。

誰かの大切な人、愛される人、愛してる人。

この世に生きてる人間の全部の気持ちへ全部違うから。

うのの好きな金子みすゞさんの詩にもある
「みんな違って、みんな良い」
うん、うのもそう思う。


出来ることは限られているけど、あの日を生きた人間として、こうしてあの日を忘れないこと、誰かに伝えることが、今のうのに出来る精一杯の復興支援だから。

明日、Yahooで3.11って検索してみてください。
あなたのその行動が、力になります。

ダラダラとまた長文になりましたが
ここまで読んで下さりありがとうございました。

完全なうのきちの自論なので
異論は認めます(笑)

みんな違って、みんな良いんだから。

人それぞれ正義が違うのは当たり前だから。


未だライフラインすら整わない能登の被災地の皆様が1日でも早く一瞬でも心和む瞬間があるように心からお祈り致します。

うの


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