父方のおじいちゃんは中島飛行機(零戦工場)の技術者
こちらのおじいちゃんの話はまたします
母方のおじいちゃんは陸軍の医官でした。
終戦迎えたのは飛行機から撒かれたビラでした。
8月16日終戦
本当は9月の頭にパガン島全力全滅作戦だったそうです。
おじいちゃんは生きながらえました。
サイパンの隣のパガン島から船に乗る前、胸を開けろ!と米軍が言い
敵の前で腹を出すだなんて屈辱的だと
非常な屈辱の中で上着の胸を開いたら、タバコ2個とチョコレート
2枚と胸に放り込み入れてくれ
しまってよし!と言われたそうです。疾病に苦しみ痩せこけた兵士達にプレゼントをあげたのです
帰りの船「長運丸」の甲板で吸うタバコは最高だったそうです。
米軍の悪口はおじいちゃんから一生聞いたことがありません。
おばあちゃん(おじいちゃんの未来の妻)が見たこともないボロボロの格好した兵隊さんを見たということです。
母ちゃん母ちゃんと叫びながら、
普通は駅前から車で40分かかる
距離をおじいちゃんは歩いておばあちゃんのもとに向かうのでした。
本当は戦争で生きて帰るのは良くないことと言われていた時代です。
だけど、おばあちゃんは息子の生きて帰った姿を見ることができ、きっと涙で抱きしめあったのでしょう。28人出征して、生きて戻ったのは2名でした