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流鬼(るき)

小柄でとびっきりのHカップ
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たまには
2024年4月27日(土) 06:03 by 流鬼(るき)
一昨日線路に飛び込み自殺の
現場に居合わせた
私の親は毒親だった
世間体を気にして
学歴が全てという親だった
私は本家の長女として生まれ
初孫だった
ただ、母親はお前が生まれてこなければ
私の人生は違ったと度々口にしていた
父は公認会計士
母は医療関係
医者家系だった
幼稚園から私立に行き
まぁ、望んではいないけど
習い事も沢山して
夜ご飯には魚と肉が必ず出て
親の引いたレールの上を歩くことが
当たり前だった
それが普通だと思っていた
悪いことをすれば
叩かれ蹴られて
それがみんなもされていることだと
当たり前のことだと
自分が悪いんだと思っていたから
小学生の時点で
私は偏差値73あった
書道も師範の資格が取れるまでいき
水泳も選手コースで
言われる通りにしてきた
成績が悪ければ
殴られて蹴られて
首を絞められ
部屋に閉じ込められる
小学生の頃は
朝4時に起きて勉強をしていた
中学受験も問題なく
受かった
親は将来国立の大学を出て
医者か弁護士になれと
口癖のように言っていた
親の期待に応えなければ

ただそれだけだった
でもだんだんと
疲れてきて
夢を持ったことのない私は
ある日何もかもどうでも良くなった
果たして親の言うとおりにすることが
自分の人生なのか?気づいてしまった
中学は私立でエスカレーター式だった
周りの友達は親にとても大事にされていた
殴られたことも蹴られたこともないと
罵声を浴びせられ
お前など生きている価値がないと
言われ続けたことなんてないと
おかしいと言われて
でも私は愛して欲しいだけだった
だから頑張ってきた
中学でもテストの点数は
ほとんどが満点か数問間違い
悪いことをすれば髪の毛を捕まれ
家の中を引きづられて
車に乗せられ
山に下ろされて
弟と手を繋いで帰った
お前が悪い
そう言われ続けて生きてきた私は
自己肯定感がない
外に出され
庭で過ごしていた私を
こっそり鍵を開けて
お姉ちゃん今のうちに家に入りなと
家に入れてくれたこともあった
まだ幼稚園にも通ってない幼子が
私は中学2年生で
うつ病と正式診断された
病院も1人で行った
自分の飯くらいは
自分で稼いだ金で食えと
私は援助交際を
始めた
そして薬の大量服薬と
酒に逃げるようになった
夜中は遊びまわり
家にいることがほとんどなくなった
体に受ける暴力よりも
言葉の暴力の方が辛かった
お前は生きる価値のないゴミだと
テストで満点を取ったら金をやると
中学2年性で閉鎖病棟に
初めて入院した
親は外面はとても良かった
警察も児相も
私の言うことなんて
信じやしなかった
私は大人が嫌いになった
高校に上がり
15で家を出た
そこから違法店で
体を売って働いた
18の時
薬を250錠くらい飲んで
救急車で運ばれICUに入った
4ねなかった
どうでもよかった
親の引いたレールを外れた私に
生きる意味だった親に捨てられた私は
もう生きる意味などなかった
命などどうでもよかった
弟に言われたのは
家を出る時
僕も連れて行って欲しかった
申し訳なかった
あの家に小さい弟を残して
消えたことを
弟は頭が良かったというか
努力したのだろう
親を利用すると
言って
4年大学に通った後
医学部に行った。
大学入学祝いで
新車を一括で買ってもらい
親が1番望んでいた
学歴というものを
作った。
わたしの最終学歴は中卒となった。
今でも劣等感を感じるのは
親の所有物であったときの
後遺症だろう
ただ、学歴が全てではないことを
私は知っている
仕事ができることと
勉強ができることは違う

なぜ私は期待に応えられなかったのか
弟も両親は頭がおかしいと言っていた
だから俺は利用すると
死ぬことが怖くなくなったのは
きっともうずっと前からで
周りの友達は
公務員や医者が
ほとんどで
望んでなったのかは知らないが
少なくとも私とは違うのだろうと思う
私は精神障害者手帳1級になった
もう昼間は働くことができない
記憶には蓋がされた
ほとんどのことを覚えていられない
車で練炭を炊いて
大量に薬を飲み眠って
発見されたこともあった
周りは私を生かそうとする
生きたい人がいるのなら
私の体で良ければあげたいと思う
でもそれはできないから
生きている
犬と猫は私の生きる理由だ
だから犬に
自分の願いを込めて
漢字で名前をつけた
ただ、一度壊れた
心は戻らないことは学んだ
きっと死ぬまで
腕を切り続け
ODはやめられないだろう
でもそれが私の生き方なのかもしれないと
受け入れるようになった
別にもう親の事は
恨んでいない
ただひとつ言うのなら
もう私は自由だということ
ただそれが辛いことでもあるということ
誰かレールを敷いてくれ
と、思うこともある
母はとてもヒステリックで
髪の毛が床に一本落ちてるのも
許さなかった
毎晩床を拭き
私のことをクソ女と呼んで
寝ていたら掃除機の棒の部分で
頭を本気で何度も叩いて
起こしてきた
でも私は犬に
同じことをしようと思ったことも
したこともない
なぜなら
自分が守るべきものだから

うちの子達は
とても感情が豊かだ
泣いていれば
涙と鼻水を舐めてくれて
トイレはちゃんとシートの上でして
私が寝ていれば
起こさずに静かにしていてくれる
生きているだけで
奇跡なのだと
私は思う
二男は生まれつき後ろ足が悪かった
大学病院での手術もした
70万かかった
安いもんだ
痛みを取り除いであげて
また元気に走らせてあげたい
ただそれだけだったから
親だったら子の幸せを
1番に思うのではないか
病気で生まれたら、
病気になったら、
自分を責めるものじゃないのか
親は私が病気になったことを
自分たちのせいではないと
言っていた
暴力も暴言も吐いてない

アダルトチルドレンという言葉がある

大人になりきれない
子どものままの精神で
歳を重ねてしまった人のことを言う

ただ、愛されたかった

だけなのにね

おもちゃを買うとか
お金があるとか
そういうことじゃない

ただ、私はあなたの味方

そう言ってあげるだけでいいのだろう
私が死んだところで
親は自分を責めないだろう

葬式にすら来ないだろう

所有物が所有物じゃなくなった時点で
もう自分たちのものではない

そういう思考なのだと思う

醜く汚い人間は
たくさん見てきた

分かり合える人にも
もちろん出会ってきた

ただ、4を選ぶ人も中にはいた

自死は決して悪いことではないと
私は思う

若いのにとか
関係ないのだから

じゃあ代わってあげれば

そう言ってやりたい

今、悩んでる人は
沢山いると思う

生きてればいいことあるよなんて
綺麗事だろう

そりゃ生きていれば
言い事も悪い事もあるのが
当たり前。

私は今までの人生を
後悔していない
むしろそのおかげで今があるから
話は逸れたけれど
電車に飛び込む勇気があるほど
強い人だったのだろうとおもった
遅延して迷惑だと思う人は
それでいいと思う
実際本気で死にたい人は
死んだ後のことなんて
どうでもいいのだから
生まれ持ったものは
どうしようもできないし
自分を受け入れるというのは
とてもむずかしいことであるとは
思うけれど
でも私は自分を障がい者として
受け入れられるようになった。
だからと言って甘えはしない。
出来ることは全力でやる。
1人で生きていける
強さが必要だから。
最期の時を
天命に任すか
自分で決めるかは
自分で決めいいと思う。
いいじゃん。
自分で決めたって
そのくらい
周りが悲しむとかは
綺麗事だ。
代わってやれないのだから。
話せば楽になる
でも現実は変わらないだろ。
どうか自分を
ありのままの自分を愛して生きて欲しいと
私は思う。
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